経営する、運営することの強い意志と心構え

483345002Xプロフェッショナルマネジャー
ハロルド・ジェニーン

プレジデント社 2004-05-15


「経営」するという事のとても重要で、かつ非常に考えさせられる内容を本書は与えてくれます。
筆者自身が厳しい姿勢で臨む経営には数字で結果を求め、それ以外の評価指標がないと断言されています。
しかし、その結果を出す為に必要なありとあらゆる有効な手立てとして、そこで働く人々の良い環境、働く上での正義をマネージャーは行い、維持していく必要性が切々と語られているように受け止めました。

筆者は最初の章でこう語ります。
「ビジネスでも人生でも成功する秘密は、秘密なんか無いということだ。なんの秘密もありはしない。なんの方式も、なんの理論も。」

と、語った上で始まる筆者の考えは、何らかの組織を自覚と責任感を持って経営し運営する人々にとっては、充分にノウハウとなり、教科書となりえると思います。
すごく勉強になりました。

要約
プロフェッショナルマネジャー
ISBN: 483345002X
本を読む時は、初めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ

会社とその最高経書と経営チームの全員は、業績(performance)というただひとつの基準によって評価される

コミットメント
トップ経営者とは、自分で決断し、目標とやるべきことを明言し、失敗のリスクを100%背負う人のことなのだ

官僚主義的な情報経路では、問題ばかりでなく、すぐれた革新的なアイデアが見過ごしにされてしまうことも多い。失敗するかもしれない提案をすることで地位を危険にさらしたがらないエグゼクティブは、どこにでもいるものだ
明敏で若々しいアイデアを、もっとよく研究せよという口上をつけて、ラインを通じて突っ返すか、あるいは頭からしりぞけてしまう
明敏な若い人たちは、提案をするのをやめてしまう。割り当てられた仕事だけをやって、ほかのことは考えないようにする
辞職して、もっと機会を与えてくれる別の職場をさがす
そしてトップにいる人間は、自分たちが何を失ったかを知らずに終わる

過失はビジネスにつきものの一面であり、そのように扱われるべきものである
重要なのは自己の過失に立ち向かい、それらを吟味し、それから学び、自己のなすべきことをすることだ。
唯一の本当の間違いは、間違いを犯すことを恐れることである

信頼し得る真実
たいていの場合、これらはぜんぜん事実ではない
 表面的な事実(一見事実と見える事柄)
 仮定的事実(事実と見なされていること)
 報告された事実(事実として報告されたこと)
 希望的事実(願わくば事実であってほしい事柄)
 受容事実(事実のレッテルを貼られ、事実として受けいれられた事実)
?本当の事実″をそれ以外のものから?嗅ぎ分ける″能力と、さらには現在自分の手もとにあるものが、?揺るがすことができない事実″であることを確認するひたむきさと、知的好奇心と、根性と、必要な場合には無作法さをもそなえていることを要求する
実際には、いわゆる?事実?なるものはほとんどかならず、それを提出する人物の偏見によって色づけられている
さまざまな方面から?事実″を収集するのが上策
子供のころ、貨幣の上にかぶせた紙を鉛筆でこすって、その貨幣に印刻されている像を浮き出させる遊びをした時のように、鉛筆でこする回数が多くなればなるほど、鮮明な画像が浮き出てくる。それと同じように、?事実″について多くの異なった出所からの報告が重なれば重なるほど、真の状況(もしくは、可能な限りそれに近いもの)が見えてくる

経営者は経営しなくてはならぬ!
それは単純きわまる信条
-ビジネスに、職業に、人がたずさわるほとんどどんなことにでも、成功を収める秘密におそらく最も近いものである
?経営(する)?とはなにかをなし遂げること、マネジャーである個人なりマネジャーのチームなりが、努力するに値することとしてやり始めたことをやり遂げることだ。
それを達成すると誓ったことをなし遂げなくてはならぬことを意味する
目標に達成するまで試み続ける
ひとつの対応がうまくいかなかったらつぎの対応を、そしてまたつぎの対応を……
それが?経営する″ということなのだ
品質管理とは、マイナス面の管理である。
いくつの欠陥、いくつのマイナスまでなら許容できるという態度をもってのぞむことだ
生産のプラス面を管理することは、マネジメントの仕事の一部分にすぎない
用心するばかりが能ではなく、とにかく行動して、はずみをつけることのほうが重要な場合がしばしばある。
帆船を操縦する時のように、はずみ(惰力)に乗ったまま、それからでもコースを変えることはできるからである。はずみというものがなければ、船の操縦はできない。物事をあまり深く考えつめているあいだに、むざむざ機会を取り逃がしてしまうことがないようにするのも、経営の仕事のうちだ
してはならないのは、不十分な結果を受けいれて、それを弁解することだ
どれほど論理的で理屈にかなっていようと、決定的にテストされるのは?説明″ではない。テストされるのは、きみがマネジャーとしてやれる限りのことをやり尽くさずに、不満な結果を満足なものとして受けいれるかどうかだ

リーダーシップとは
ビジネスであれ政治であれ戦争であれ、あるいはフットボールの試合であれ、共同の目的を遂げるために他の人びとをチームとして結束させ、自分のリードにしたがうように仕向ける能力である
最高経営者として人びとを鼓舞する最良の道
行為と日常の態度によって、自分が心から彼らを支持していることをわからせること
リーダーシップは学ぶことができるものだ
他の人びとを導き、奮い立たせる能力は、意図的なものというより本能的なものであり、各人の日常の経験を通じて身にそなわり、そのリーダーシップの究極的な性質と特色は、リーダー自身の内奥の人格と個性から出てくる
仕事は思考を刺激し、その慈養となる知的挑戦を提供してくれる
そうした種類の、人を活気づかせる、挑戦的な、創造的な雰囲気を社の中につくり出すことこそ大切
一口に言うなら、沈むにせよ生き延びるにせよ、われわれは同じボートに乗りこんで、今から必死に漕がなくてはならないが、最後にはきっと、全員にとってやるだけの価値があったことが証明されるだろう
私はボートの後尾に座って自分は何もせず、部下たちにすべての仕事をするように説諭する船長になりたくなかった。
また両手に大きな鞭を握って、奴隷たちを死ぬほどの恐怖に縮みあがらせる奴隷船の船長にもなりたくなかった
リーダーシップが発揮されるのは、言葉より態度と行為においてである
あることを言って、問題が起こった時にそれと違うことをしたら - 彼はその部下の敬意と忠誠を永久に失ってしまう
そして話は遠く広く伝わる
問題のエグゼクティブの近くにいる人びとは、各自の見解を裏づけるもっと多くの事実を知ってはいるが、見解そのものはラインの上下を通じて同じなのが普通だ。そしてそうした意見の集積が会社の風潮、雰囲気、意気を形づくるのである
適度の自負心と自信は、企業でも他のどこでもリーダーたるべき人間には不可欠なものだ。
企業のリーダーは、正しいにせよ誤っているにせよ、自分の目に正しく見える目的に向かって人びとを動かすために自己の人格的魅力を発現させなくてはならないからである
真のリーダーは下の人びとに、どんな理由からであれ自分に近づくことを恐れさせないように、まがいものでない門戸開放政策を維持しなくてはならない。
最高経営者に向かって、「これこれのことについて、あなたは完全な間違いをなさっていると思います。そしてその理由はこれこれです」と、だれでも気兼ねなく言えるようでなくてはならない。
自己のエゴを克服している最高経営者は、そうした批判に耳を傾ける。
なぜなら、たとえそれが間違っていても、なにか新しく得るところがあるかもしれないからだ。
それからその彼(彼女)に、事実とまっすぐに対略させる。そしてもしその彼(彼女)が正しければ、最高経営者は彼(彼女)に大いに感謝して、状況の改善にとりかかればいい。
その処置についてのうわさはたちまち会社の隅々に伝わり、他の人びとも自由にものを言うように仕向けるだろう。
だれがなんといおうと、どんな会社でもだれかが頭脳を独占する(したがってその一人の考えだけが正しい)などということはあり得ないのだ

どんな会議でも、私はだれかの能力をけなしたり、脅かしたりしたことは一度もない。
皮肉や個人攻撃はいかなるレベルでも慎むべきものとされた。
重要なのは、だれが正しいかではなくて何が正しいかだ
論理的、啓発的な批判より、利口ぶった皮肉な言葉が、想像力に富む良い考えの芽を摘みとってしまうことが多い。
開放的なコミュニケーションとは、だれもが言いたいことを言う資格を与えられることを意味する。
私はみんなに、あらん限りの想像力と創造性を発揮してほしかった
だれでも思っていることを口に出してボスに反対することができ、それがちゃんと聞かれるということが会社じゅうに知れわたることだった。批判に対して開放的であることには、通例、予期せぬ配当がついてくる。人びとはまた、自由に私なり他のだれなりのところへやってきて助けを求め、その場合もまた地位や格を下げられる恐れなしに、それを受けることができた。われわれ全員はひとつの目標に向かって力漕している、同じ救命艇の乗り合い仲間なのだった。それがわれわれの根底にある哲学だった
部下と意見が合わない場合、時には私も自分の主張を通そうとするあまりにわれを忘れたこともある。しかし、自分が間違っているとわかったら、人前でなり二人きりでなり、こちらから進んで非を認め、将来にかけてその誤りを訂正する処置をとった
そうできることが、経営者としての人間的な魅力

何のために働いているのか
尊敬し崇拝しているだれかのために働くのは楽しく、くそいまいましい野郎のために働くのは最低だということはだれでも知っている
脅えた人たちは社内政略に走る。
彼らは問題がまだ解決可能な早期に、進み出てそれを認めることをしないだろう。
最も有能で自立心のある人びとは、そうした状態のもとで働くことを不本意として去る
良い人びとはそうした会社には入らないだろう
やがてそうしたマイナス効果をもつ状態と態度は、互いに他をこやしにして増殖して、ついには最高経営者司令官とその取締役会が測ろうとしても測れないほど深い淵をつくり、会社はその中に沈没していってしまうだろう
会社の人びとが本当は経営者のために働いているのではないということを認識しなくてはならない
彼らは経営者と一緒に自分自身のために働いているのだ。彼らはそれぞれに自分の夢を、自己達成への要求を持っている

冷淡で、超然として、自分はなんでも知っているといった態度のボスを、彼らは憎む。
彼らは陰で彼をばかにし、彼を迂回して仕事を運ぼうとする。彼らは彼の真の姿を見すかし、彼にそなわっているのはポーズだけで、本当のリーダーたる資格はないと見きわめをつける。
いったんそうなると、マネジメント・チームの組織全体のはずみはおろか、会社全体がばらばらに分解し始める。しばしばエゴチストのボスはなにか様子がおかしいことに気づくが、その原因にはけっして気づかない。
そして部下たちに尊敬と追従をますます強要し、強要すればするほど尊敬されなくなる。かくして、彼の要求はいっそう倣慢な、虚偽に満ちたものになる。
人びとはますます彼を憎悪する。状況は時とともに悪化をたどる。
そしてマネジメント・チームがいくつかの陣営に分かれると、ボスは追従屋ばかりで側近を固めるようになる。彼にはもうイエスマンしか我慢できないのだ

良い経営の基本的要素は、情緒的な態度である
企業には弛緩がはびこっている。
非難はしばしば労働者に向けられ、それも確かにその一部をなすものではある
不幸なことに、弛緩はまずマネジメントの最上層に始まり、下へと広がっていくのが常だ
マネジメントとは人名と肩書を枠で囲んで組織的に書きこまれた四角い仕切りの集合ではない。マネジメントは生きている力だ

経営についての勧め
物事をおこなうには会社の機構を通し、近道をせず、ルールにしたがってやらねばならぬ。しかし、ルールにしたがって考える必要はない
本来の自分でないものの振りをするな。?見せかけ?のために物事を遂行することは自分に跳ね返り、やることのすべてを鼻もちならないものにしてしまう
紙に書かれた事実は人びとから直接に伝えられる事実と同一でない
事実そのものと同じぐらい重要なのは、事実を伝える人間の信頼度である
事実はめったに事実でないが、人びとが考えることは憶測を強く加味した事実である
本当に重要なことはすべて、自分で発見しなくてはならない
組織の中の良い連中はマネジャーから質問されるのを待ち受けている
彼らはそれに答えることができ、答えたいと思っているからだ
それから初めて両者は一緒に前進することができる
物事の核心を突く質問をされるのをいやがるのはインチキな人間に決まってる
インチキな人問を見分けて厄介払いするのはマネジャーの仕事である
良い連中はそれをマネジャーに期待している
どんな問題についても、答えや解決法を、聞かれもしないのに教えてくれる者はいない
エラルキー(階層組織)の中で仲間と円満にやっていくための錠であり、賢い人間はそれを破ろうとしないのが普通
決定は、とりわけきわどい決定は、マネジャーが、そしてマネジャーのみがおこなわなくてはならない
統率者は、そのために給料をもらっているのである
決定は状況に関する事実に基づいていなくてはならない
責任者であるからには、正しかったり間違ったりする権利があるが、他のだれかに決定や命令を代行させる権利はない